ジェームス・W・ウッズ

A HISTORY OFWOODS

ウッズの歴史

  • はじめに
  • 創業
  • クロンダイク・ゴールドラッシュ
  • 北西航路の発見
  • アークティック・パーカ
  • ウッズ社と戦争
  • 20世紀のカナダ
  • 世界の頂きに立つ
  • 21世紀のWOODS

はじめに

WOODSは1885年にカナダの首都オタワにてジェームス・W・ウッズが創業。以来、WOODS製品はカナダ人と共にあり、カナダ人が苦難苦境を乗り越えこえる場面を支えてきた。
極限の環境や状況下で必要とされる暖かさ、防水性の機能を提供し、信頼性のあるウェアやシェルター(テント、シュラフ等)を供給し続けた。そしてこの100年、アークティック・パーカ(WOODSを代表する防寒パーカ)は、カナダの土地に溢れる素晴らしくも厳しい自然をカナダ人に伝える役割を果たし、1年を通し仕事も遊びもできる地へ変化させてきた。これこそが、ウッズ社が創設されてから変わらずに提供してきた不変の価値である。
「革新的な防水技術」と「ダウンをふんだんに使って実現する断熱性」を備えたWOODSのアパレルウェア製品(特にアークティック・パーカ)は決して変わらない「冒険のスリル」「自然への愛」「北国の厳しい冬」のために在り続けた。そしてこの世には辿り着けないような悪天候も、僻地も、遠すぎる場所も、高すぎる山も無いということを証明した。

ジェームス・W・ウッズ
生産工場

創業

1885年から1895年の10年間で、ウッズ社は「木材伐採・製材業に従事する人々の必需品を一手に生産し供給する事業」を確立させていった。
ジェームス・W・ウッズのビジョンは、木材伐採・製材業に従事する人々が必要とする食糧以外のあらゆるものを提供するというものであった。その計画を反映して、WOODSの創業当初の製品ラインアップは、衣服、野営に必要な装備、作業用具などであった。
1895年、ジェームス・W・ウッズはオタワ川沿い、ハルの町に生産工場を設けた。

そして1900年、ウッズ社は全く新しい軽量キャンバス生地の発明を果たし、その余りにも高い防水性能によってWOODSは瞬く間に世界でその名を知られる存在となった。
1909年発行のウッズ社のカタログに「私たちは、入手しうる最高品質な素材を用いて製品を作り、良識的な価格帯で販売しています」の一文が記載されている。その後のカタログでは、市場に流通する一般のキャンバス生地と比較してWOODSのキャンバス生地がいかに技術的に優れたものなのかが詳しく説明されている。
1915年までに、WOODSの製造拠点の規模は4倍にまで拡大し、その規模感ゆえに原材料・素材の調達から製品素材の調達から製品仕上げまでのプロセス全体を管理統制することができるようになった。アパレルウェア、アウトドア用品のいずれにおいても、WOODSの「細部にいたるこだわり」は一瞬たりとも損なわれることなく今に継承されている。

クロンダイク・ゴールドラッシュ

19世紀の終わり、カナダは国として未開のままであった北と西へとその基盤を広げていった。ウッズ社がウィニペグにカナダ西部の製造拠点を構えようとしていた頃、彼らはカナダで一、二を争う繊維メーカーへと成長を遂げていた。
この頃、北と西に広がっていた未開の地は、数多く眠る新たな機会が約束された土地であった。1896年のボナンザ渓谷での金脈発見によって、ユーコン準州にクロンダイク・ゴールドラッシュが到来し、それ以降、カナダ北部への大量な人の流入が止めどなく続いた。

クロンダイク・ゴールドラッシュは、流入した人々の金鉱発掘による成功を待たずして、直ちに地元の経済を潤した。「スタンピーダーズ(stampeders:一攫千金狙い人の集団)」の大量流入によって、西側の各都市が不景気を脱したのだ。特に恩恵を多く受けたのが、クロンダイクで働く人々の装備を供給する「クロンダイク・アウトフィッターズ(用品店)」と総称される小売業であった。その多くが、バンクーバーのコードバ通りに店を構え事業を発展させていったが、これら用品店が供給したのがまさにウッズ社の製品であった。リュックサックに始まり、テント、寝袋、(厚いウール生地の)マッキノー・セーター、キャンプストーブ等、WOODSの様々な製品がこうした小売業者を通して一攫千金を夢見る多くの人々に提供されていった。
このユーコンの地におけるゴールドラッシュ中、どんな冒険にも引けを取らないような、スタンピーダーズ達の長く厳しい旅路を支えたウッズ社の様々な製品は、一貫して備わった「耐久性」と「革新的技術」によって確固たる評判を確立し、その名を遥か遠くの地にまで轟かせるようになった。

北西航路の発見

ノルウェー人のロアール・アムンセンは、1911年に人類史上初めて南極点に到達した南極遠征隊を率いた人物としてその時代で最も有名な探検家である。
1906年、ユア号に乗ったアムンセンと彼の率いたクルーは、人類が400年の間、試みては失敗を繰り返していた「北西航路の航海」に歴史上初めて成功した。そして、そのカナダ北極圏における船上で、アムンセンを始めとするクルー全員の命を守るだけでなく、彼らの快適な日々を可能にしていたのがウッズ社の各種製品だった。
アムンセンと彼のクルーと共に、北極遠征に使われた鋼製機帆漁船ユア号にWOODSのテントや寝袋、そしてキャンバス(生地)・パーカなどの製品が積まれた。ヨーロッパを拠点としていた彼らがカナダのWOODS製品を入手し得たのは、ジェームス・W・ウッズがヨーロッパ市場を含む世界 あらゆる土地のコミュニティに繋がりを持っていたからに他ならない。
ウッズ社は既に、ニュージーランド・インド・日本・メキシコ・そして南米数ヶ国においても製品を卸していた。ジェームス・W・ウッズの米国地理学協会や英国王立地理学協会とのコネクションにより、ウッズ社は20世紀初期において最も重要な数々の探検プロジェクトに装備やウェアを提供し、事業は遥か遠くアジアの地にまで拡大していた。

アークティック・パーカ

この後、北極探検隊たちへの供給とともに、彼らの命を守るための開発を続けたアークティック・パーカは、ジェームス・W・ウッズのもたらした「キャンバス生地関連の最新技術」が最大活用された「断熱(防寒)ダウン」を使用し、イヌイットの伝統的な衣服に着想を得た「機能的・実用メリットも大きい細部へのこだわり」に溢れた唯一無二なものであった。カナダ北極探検隊(CAE)が細やかに残した記録の中には、ウッズ社のキャンバス生地製の製品が多く写り込んでおり、彼らがアークティック・パーカを着ている姿もしっかりと残されている。
この北極探検から100年という時が経ち、ウッズ社のアークティック・パーカに類似する様々なジャケットが、日々カナダの都市や大自然の中で着用されている現実が存在している。ウッズ社の製品は、カナダ北極探検の後も、数十年に渡って世界中の探検や冒険を支えた。
より高く、より遠くへと、冒険を進める人類の限界への挑戦の常なる伴走者であった。

ウッズ社と戦争

1914年、遥か遠く、北極の地でカナダ北極探検隊がその歩みを残りの世界から隔絶され進める頃、世界は大きく第一世界大戦へと突入していった。
ウッズ社はこの第一次世界大戦でも、英国軍・カナダ軍にキャンバス生地を用いた軍服や軍備を提供するという大きな役割を果たした。人や馬、戦場で動くあらゆるものがキャンバス生地を纏っていた。ウッズ社の誇る「軽量防水キャンバス生地製造技術」こそが、世界におけるWOODSブランドについての評判を揺るぎないものにした。ウッズ社のカナダ軍隊への軍事装備や軍服提供の契約は、1980年代に入るまで連綿と続いていった。
雑誌『Outdoor life』に掲載された広告では「戦時下においても、そして平和な時代においても、ウッズ製品は屋外において人々の人生に寄り添い続ける。」と約束し、それだけでなく、ウッズ製品は戦いの時を経て更に人々に記憶される、そして待たれる存在になるのだという決意を表していた。
先の雑誌広告の数ヶ月後、アウトドア雑誌『Field & Stream』に掲載された広告では「戦後の世界はもうすぐそこに!」と謳い、次のように語っている。「山の中に佇む静かな湖の鏡のような水面のどこかで、パシャリとブラックバスが跳ねる…。素晴らしい自然と堪能するアウトドアライフを満喫する素晴らしき戦争終わりし世界が、自然を愛する男たちを待っているー何一つ変わらず、常に同じ懐の深さで。」

20世紀のカナダ

WOODSブランドに魅了されたのは、極地探検家や軍を率いるような国の要人だけではなく、普通の暮らしを営む人々だ。国内の交通網が発達し、人々の暮らしにゆとりが出てきて休暇を取れるような人々が増え、カナダの偉大なる自然が一般の人にとってもどんどんと開かれたものになっていた。
WOODSは、カナダ初の「幅広いアウトドア製品を展開するアウトドア企業」であり、創業時から一貫した製品の幅の広さと、カナダの社会の様々な変化に合わせて変遷して発展したWOODS製品は、カナダの人々の暮らしに浸透していった。
暖かさと心地よさを提供するアパレルウェアや寝袋カテゴリーにおいても様々な商品が展開された。1935年カタログで紹介されているのは、レジャーとしてキャンプを楽しむ人たちにとっての必需品、アウトドアウェアや、アルミニウム製調理ポット各種、蚊よけネット、キャンプストーブ、丸めて収納可能なマットレス等々の品である。中には、カヌーを漕ぐ時に座る用のクッションや保存食なども掲載されていた。キャンプ用簡易ベッドや、折り畳みチェア、テーブルも宣伝されている。
WOODSの製品がもはや「漁師、アウトドアを楽しむキャンパー、猟師、探検家、飛行家、探鉱者、スタンピーダーズ」たちだけのものでない時代が到来した。

WOODSの製品がもはや「漁師、アウトドアを楽しむキャンパー、猟師、探検家、飛行家、探鉱者、スタンピーダーズ」たちだけのものでない時代が到来した。こうして、時の流れと共に様々な変化を取り入れ、新しい商品を絶え間なく開発していく中でも、WOODSの品質に妥協しない姿勢は決して揺るがなかった。
世界に知られる「ウッズ・アークティク・アイダーダウン・スリーピング・ローブ(北極仕様アイダーダウン寝袋)は、マイナス気温の環境にあっても暖かさに包まれた眠りを保証する商品で、カタログには-42℃の過酷な寒さの中、星空の下でスヤスヤと眠ったと語る顧客の証言が載っている。
そしてそれから数年後、この寝袋はアーネスト・ヘミングウェイが1940年に出版し、後世に語り継がれている名著『誰がために鐘は鳴る』に登場したことで文学の世界において永遠の命を与えられた。主人公、ロバート・ジョーダンの寝袋は、ヘミングウェイ自身が実際に所有していたものを参考に描かれている。

世界の頂きに立つ

1980年代までに、WOODS製品やカナダ人が辿り着いていない地球上の土地などはほぼなくなっていた。しかし、地球上究極の地にウッズ製品が足跡を残すことになったのは、80年代に入ってからのことである。1977年に、カナダのエベレスト遠征隊がネパール政府にエベレスト登頂許可を申請。1982年に登頂する許可を取得した。
登山家ローリー・スクレスレットは終盤になってこの遠征隊に加えられたメンバーであり、他メンバーに比べると登山家としての経験が浅かったのだが、凄まじい執念と多少の運に助けられ、「カナダ人として初めてエベレストの頂きに到達した人物」として後世に名を残すこととなった。
スクレスレットは登山装備についての第一人者であり、様々なメーカーと密に連携しながらエベレスト登山のための装備の改良を行い、自分たちのニーズにぴったりな装備・ウェアを完成させていった。
エベレスト登頂中のカナダ遠征隊の写真には、深い青色のパーカに一際目立つウッズのロゴが写っている。極寒の地において生き延びるための生命線となるのがこのパーカであり、これもスクレスレットがデザイナーと協働することで完成させたアイテムだ。「スクレスレットの専門知識」と「ウッズの何十年と培ってきた経験」が統合されて生まれた超一級品といえる至極のアウターウェアは、それを着た遠征隊がエベレスト登頂を果たしたことで、そのクオリティを証明した。

21世紀のWOODS

1952年、この頃から北米の繊維業界は長い下り坂を経験することとなる。だが、ウッズ社は、世間での圧倒的なブランド知名度を保ち、ブランドの伝統は変わらず引き継がれ続けた。そして、カナダにおけるテントや寝袋などのNo.1メーカーとして君臨し、アメリカやアジア史上にも力強い拡大を続けて行った。
21世紀に入ってからのカタログでは、100年以上もの間、世界の人々に愛されてきた極地気候用ダウン・アークティック・パーカと同時に、日常着として使えるようなファッション性の高いアウター着も掲載。ブランドが受け継いできたウッズ社の歴史と実績は、21世紀に入っても輝きを失うことなく生き続け、伝説は今も価値であり、その記憶はブランドと共に育ちWOODSを敬愛するカナダ人の中に残り続けていく。
WOODSはカナダの歴史そのものである。

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